はじめに
どうも、ラノベ新人賞40回以上落選中、ベテランのラノベ作家志望者ぶんぶんスクーター(以下ぶんスク)です。
今回は「オリジナリティの出し方」についてお伝えしたいと思います。
新人賞に応募して、評価シートに「オリジナリティが足りない」と書かれたこと、ありませんか?
ぶんスクは新人賞に40回以上も落選していますから、「オリジナリティ不足」については何度も指摘を受けてきました。
こうした落選生活の中で、ぶんスクは「オリジナリティを出すにはこれしかねえ!!」という方法に出会いました。
では早速、詳しく説明していきましょう。
自分が置かれた状況をそのまま物語にする!!!
はい。
結論です。
「自分が置かれた状況をそのまま物語にする」―――これが、ぶんスクが辿り着いた答えです。
自分の置かれた状況というのは、自分しか理解できませんよね。
その状況で感じる感情――楽しいとか辛いとか嫌だとか嬉しいとかいう感情は、自分固有のものであるはずです。
つまり、そうした自分固有の状況や感情を物語にしてしまえば、自分にしか作れないオリジナリティのある物語になる、というわけです。
「自分の人生そのものを物語に置き換える」と言うこともできます。
具体例「ファルアリトの閃光」(作:ぶんぶんスクーター)
具体例があった方が分かりやすいと思うので、恥を忍んで拙作を例に出して説明します。
というのも、本作がぶんスクの長いラノベ作家志望者生活の中でほぼ唯一、一次選考を突破した物語だからです。
とはいえ、ラノベ作家を目指し始めた頃に書いたものなのでマジで恥ずかしいんですけど、ひとえに少しでも分かりやすくなればという思いで我慢します。
べっ、別にブログ読者さんなんかのためじゃないんだからねっ!////
……はい。
おっさんのツンデレに需要はないでしょうから、この辺にしておきます。
「ファルアリトの閃光」本編は↓のリンクからどうぞ。
「ファルアリトの閃光」(カクヨム)https://kakuyomu.jp/works/16817330651962021005
あらすじ
惑星アスで生まれた人類が宇宙に進出し百年のときが過ぎようとしていた。宇宙と地上の交流は皆無に等しく、惑星アスで生きる人々は宇宙の存在を忘れかけていた。
惑星アスで生きる少年ミツヤはある夜、空から落下して来た青い人型の機体「ファルアリト」を発見する。
そのマシンに乗っていた少女は、フアラという自分の名前以外の記憶を失っていた。
ミツヤは彼女の宇宙へ帰りたいという願いを叶えるため、ファルアリトと共に宇宙を目指す決意をする―――!
解説
いや恥ずかしいですね。
ですが、今回は分かりやすさ優先です。早速ですが解説していきましょう。
この物語は次の3つの視点を基に作られています。
次の3つですね。
①「作者が置かれた状況」を「ストーリーの起点」に置き換える。
②「作者が感じていること」を「ストーリーの軸」に置き換える。
③「自分の最終目標」を「ストーリーのクライマックス」に置き換える。
では①から詳しくお話ししましょう。
①「作者が置かれた状況」を「ストーリーの起点」に置き換える
当時のぶんスクはラノベ作家を志したばかりでした。
自分に才能があって、それを表現するライトノベルという手段があれば、絶対に何者かになれると思っていました――――まさかそれから40回以上も落選するとは思いもしませんでしたが。
この物語を考えるにあたって、ぶんスクは「才能」を「美少女」に、「ライトノベルという手段」を「巨大ロボット」に置き換えました。
「ライトノベル作家という職業に出会った自分」を、「美少女が乗る巨大ロボットと遭遇した主人公」に置き換えたわけです。
こうして「①作者が置かれた状況」を基にストーリーの起点が生まれました。
②「作者が感じていること」を「ストーリーの軸」に置き換える
次に「②作者が感じていること」です。
当時、ぶんスクは人生どん詰まりでした。まあ、それは現在も変わりませんが。
とにかく、今の環境から抜け出して違う世界に行きたいと強く願っていました。
どん詰まりの現状から抜け出し、ライトノベル作家になる。そんなことを思っていたわけですね。
この「現状から抜け出しライトノベル作家になる」という気持ちを物語に投影して、「主人公は母星から脱出しヒロインと宇宙を目指す」というストーリーの軸が生まれたわけです。
③「自分の最終目標」を「ストーリーのクライマックス」に置き換える。
①、②の2つの工程を経ることで、恐らくストーリーの大まかな部分は決まったはずです。
いよいよクライマックス。
ぶんスクにとっての最終目標は「ライトノベル作家になること」。そして「バカ売れして大人気作家になること」です。
もう少し分かりやすく言えば、「才能が発揮され、ライトノベル業界で成功すること」。
これをそのままストーリーのクライマックスにしてしまいます。
「ファルアリトの閃光」のクライマックスは、ヒロインがきっかけとなり巨大ロボットの隠された力が発動し、それによって宇宙で行われていた戦争が終わるという筋書きになっています。
「才能」の置き換えである「美少女=ヒロイン」によって「ライトノベルという手段」の置き換えである「巨大ロボット」が最大限の力を発揮する。
ぶんスクの最終目標がそのままストーリーのクライマックスになっていることが分かりますね。
このようにして、自分自身が置かれた状況をひとつひとつ物語の要素に置き換え、作り上げていったのが「ファルアリトの閃光」であり、今もなお、ぶんスクは同様の手法で物語を考えています。
おわりに
えー、これまでご説明してきたように、自分の置かれた状況をそのまま物語に置き換えることで、オリジナリティのあるお話が出来上がります――――え?
自分の状況を置き換えるにしても、置き換えた先にオリジナリティがなければ結局のところオリジナリティは生まれないんじゃないかって?
なるほど、良い着眼点ですね。
それはそうです(爆)。
否定はしません。
しかしながら、ストーリーの中心に「自分」があることで、ストーリーと自分の中に一体感が生まれます。
ストーリーに説得力が出てくると言ってもいいかもしれません。
また、ストーリーが迷子になることもありません。なぜなら、迷ったときは根幹にある「自分」がどうなのかを見つめ直せば良いだけだからです。
なんだか精神論になってしまいましたが、ここで一つ、同様の例をご紹介しましょう。
「新世紀エヴァンゲリオン」の監督である庵野秀明氏は、インタビューでこのようなことを仰っています。
「オリジナリティが存在するとしたら、僕の人生しかない。僕の人生は僕しか持っていない、それがオリジナルだから、フィルムに持っていくことが僕が作れるオリジナリティなんです。」(「スキゾ・エヴァンゲリオン」p50より引用)
確かに、ストーリーが何かの模倣になってしまうことはあるかもしれません。
しかしその元となった「自分」がオリジナルの物である以上、描いた物語には何かしらのオリジナリティが宿るはずです。
というわけでみなさんも、「自分が置かれた状況を物語にする」という方法を試していただければと思います。
それではまた、ラノベ新人賞を受賞するその日まで。
ぶーん(ぶんスク、走り去る)。
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